古都における世界遺産(6)

仁和寺

 晴雨と寒暖の変化が、殊の外激しかった今春でした。春への移り変わりで三寒四温という表現がありますが、今年は四寒三温という方が適していたような気もします。お陰で桜花の寿命が例年より大分延びたようです。古都京都にも桜の名所は数多くありますが、京都の春の終わりを告げる遅咲きの八重桜「御室桜」で有名な仁和寺を紹介しましょう。兼好法師の徒然草に「これも仁和寺の法師」などとして出てきます。本誌第62号に掲載された 小山嘉巳氏の「畏敬の念としたたかさ 石清水八幡宮のお膝元に生きる 」(17ページ)には、その一つが紹介されています。

北山の寺社

 既に紹介しました鹿苑寺(金閣寺)や龍安寺よりさらに西に位置する仁和寺は、光孝天皇の勅願で造営が始まりましたが、天皇の崩御後、後継の宇多天皇が引き継ぎ888年(仁和4年)落成しました。天皇は退位後法皇として寺内の僧坊に住まわれたので、法皇の御在所を尊称して「御室」と名付けられたわけです。この寺院は、門跡寺院の走りでもあります。仁和寺境内の築地塀には、門跡寺の象徴である白い五線が入っております。ご多分にもれず、15世紀後半の応仁の乱で仁和寺は全焼してしまいますが、江戸時代寛永年間、徳川幕府によって今日に残る寺院伽藍が再生されました。同時期に改築された京都御所からも幾つかの建築物が下賜されました。御所から移築された紫宸殿は桧皮葺の屋根を瓦葺に改変、本堂(金堂)として現在まで残っています。現存する最も古い建物だそうです。

 仁和寺には金堂を始め国宝、重要文化財に指定されている建造物、絵画、彫刻等数多く有りますが、本稿ではこれ等については省略し、庭園を中心に紹介します。

1.仁和寺の庭園

仁和寺の伽藍
 二王門から境内に入って直ぐ左側に、旧御室御所(法皇が住まわれた僧坊)があります。向かって右側に、立派な勅使門がありますが普段門扉は閉じています。一般の拝観には左側の本坊表門から入ります。門を入って直ぐ右側で、地を這わんばかりに下枝を剪定した立派な松が迎えてくれます。敷石延段に沿って右前方、築約100年の御殿入り口から入ります。
 御室御所宸殿は江戸時代寛永年間に御所の常御殿を移築して造営されましたが、明治20年代に焼失してしまいます。宸殿、白書院、黒書院等は今から凡そ100年前(大正時代初め)に再建されました。1780年に出された秋里籬島の都名所図会を見ますと宸殿は東向きに建っていますが、敷地の東北に湧き水と池があるため再建時には北向きにされたものと思われます。庭園はその宸殿の南側と北側にあります。この庭園は御所の建物から鑑賞し、普段一般の拝観者は庭園内を歩行、周遊できません。

(1)南庭

南庭/左近の桜 右近の橋 砂州の向こうに勅使門 借景は二王門の屋根門
 白川砂を敷きつめた枯山水庭園ですが、儀式用の砂洲に近い趣です。
 宸殿の南庭は、江戸時代以前の多くの南庭がそうであったように、広い砂州で構成されています。縁の近く砂州の中に左近の桜と右近の橘の植栽があります。砂州の外縁にもマツ、スギ、カエデなどの植栽と若干の石組があります。宸殿から眺めますと左近の桜の向こうには、勅使門が威厳のある姿で景を引き締め、その背後に見える二王門が借景となっています。じっと眺めていますと、今にも勅使門の扉が静々と開き、烏帽子束帯姿の勅使が入って来るのではないか、という錯覚に陥ります。
 ところで左近の桜についてですが、桓武天皇の平安遷都以降、御所の紫宸殿の前には、中国の影響もあってか桜と称しながら梅の木が植えられていたのだそうです。桜好きの宇多天皇はこれを改めて桜の木に戻されたと、仁和寺では伝えられています。勿論仁和寺の御室御殿の宸殿の左側には、桜の木が植えられました。

(2)北庭

北庭/中央左寄りの石橋の向こうに燈篭 右上方に飛壔亭、借景の五重塔
 宸殿北側、縁先の白砂敷の先に、室町時代初期の様式を思わせる石組のある池泉を配した庭園があります。
 宸殿縁先から見て正面奥、池の向こうに一条の滝が流れ落ちています。滝を囲い飛泉障りのカエデとツツジは、初夏の陽光を浴びて鮮やかに輝いています。観賞する人の背後から陽が射す池泉庭は、池の水面の煌きに比べて池辺の樹木の輝きの方が強く感じます。以前に紹介しました清水寺本坊成就院の庭園もそうでしたが、北側に位置する庭園の場合、剪定等樹木の手入れには特に意を用いる必要があります。
 ここには重要文化財に指定された二つの茶室があります。一つは左手奥、縁先からは見えない所に在りますが、江戸時代の画家尾形光琳の屋敷から移築されたという遼廓亭です。もう一つは右手の後方、東北方向のマツ、カエデ、カシなど樹木の茂る築山に見える飛濤亭です。この茶室は光格天皇(在位 1779〜1817)御遺愛の数奇屋で、池泉上方に在る亭を取り囲む樹林の風になびく様から命名されたのだそうです。正面中央やや右、白砂敷の先に石橋と燈籠が見えます。その石橋を渡った辺から飛濤亭までの間は飛石を配した露地が設けられています。普段は周遊出来ませんので、池泉上の樹林から想像してみて下さい。縁からの景では、さらにその背後に重要文化財に指定されている五重塔が借景となっています。
 この庭園は17世紀末元禄年間に作庭されましたが、明治時代の御殿焼失にともなって御殿新築再建の時期に、7代目小川治兵衛によって修復整備されたものです。

3.御室桜

 わたしゃ おたふく 御室の桜 花が低くても 人が好く

 昔から京都に伝わる俗謡です。

 先述したように、京都の人達にとって御室の八重桜(御室桜)は最も遅い花見の名所として、昔も今も人気があります。この辺りは浅いところに岩盤があり表土が薄いので、桜も根を深く張れず樹高も高くなりません。花も根元近くからたわわに咲きます。花(鼻)が低くても御室の桜も、お多福もともに人気があるということで、一名お多福桜としても親しまれています。

都名所図会に描かれた御室仁和寺/境内一杯に花見を楽しむ人々、幔幕も張られて宴を興じる様子が描かれています。左手中ほど:金堂、下:観音堂、右手上:五重塔

 今日見る桜は、中門から入った左、観音堂の南側だけですが、都名所図会には、金堂以南寺院境内一杯に桜が咲き乱れ、花見を楽しむ多くの人達が描かれています。当初は宇多上皇が好んで植えられた桜ですが、江戸時代の人達を楽しませ21世紀の私達に古都の長い歴史を感じさせてくれる桜です。
 私も4月末、ゴールデンウィークの初めに改めて仁和寺を訪ねてみました。さすがの遅咲き八重桜も濃艶な花はなく、散り泥んだ5〜6本の若木が散在するだけで、一面緑の濃い葉桜でした。今年は4月の10日前後が見頃だったようです。

御室・衣笠特別保存地区に指定 1969年(昭和44年)
ユネスコの世界文化遺産に登録 1994年(平成 6年)