清水正之先生が託されたまちづくりにおける国際造園研究センターの使命

 国際造園研究センター(以下センターという)は清水正之先生が産官学の精鋭を束ね、立ち上げられたNPO法人である。私はそこで珠玉の知識を賜った。清水先生とお会いするたびに、すかさずビールを注がれ「難しい話をするな」とよく言われたが、実はそこに、ほとばしる造園に取り組む情熱があった。その清水先生が亡くなられた。訃報を聞き、もうお話が出来ないとは、残念の一語に尽きる。お会いするのが本当に嬉しく、先生からにじみ出る「大河」のような知識こそが、まちづくりにおける造園の領域を表し、センターはそこに渦巻く課題を緑で癒し治す、いわば「大地のお医者様」みたいな存在で、清水先生の采配のもとで動くのが実に楽しかった。

 私はその視点を流域に見いだし「上流域」の奥山・里山、「中流域」の田畑・ため池・河畔林、「下流域」の市街地に広がる公園・広場、そして流域全域に広がる庭園・社寺林などの研究に取り組み、問題にはセンターの「庭園」「国際」「研修」「緑化」の部会が応じた。

 センターの活動を通じて時代を読み、造園のニーズを先取る術を学んだ。公園管理の時代に舵が切られた機を捉え、パークマネジメントの博士論文を書くと、国営公園のマネジメント、遊具のリスクマネジメント等の業務に結実した。それは清水先生から頂いた学位論文「博覧会が公園緑地の形成、並びに啓発に及ぼした影響に関する研究」から、多くのご示唆を頂いたお陰である。
コンサルから大学教員に転職し鳥取に赴くと、おりしも山陰海岸ジオパークが世界ネットワークに登録され、さぞかしマネジメントは充実しているものと伺うと、なんと未着手で、急きょ鳥取県環境学術研究に挑戦し、続いて、鳥取大火地震の再来対策として、既存公園の防災機能の充実、緑の柔構造都市論などを説き、造園学会で分科会を開催した。清水先生はそれを「センターの総会でも話したら」とおっしゃり、嬉しさのあまり落涙した。最後の思い出は拙著「わらじで舞踏会」の出版会で、慈愛溢れるご挨拶を賜ったことだ。

 このように思い出は尽きない。振り返れば、清水先生のビールをコップに注がれる時の一言に、実は造園の未来を紐解く秘策が隠されていた。清水先生は正に造園のアーカイヴそのもので、未来を見抜く千里眼も併せ持たれ、あまたの哲学はセンターに託された。同時に、何人も包み込まれる温かなお人柄を私たちは後世に伝えていかねばならない。


NPO法人国際造園研究センター理事 中橋文夫